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第一巻 ヨーロッパの一部

9世紀・ロシア国家の黎明期から、13世紀にモンゴルに征服されるまでの歴史書。図版が豊富で、見ているだけでも楽しく、いい感じだと思います。

ロシア「国家」の歴史がテーマなので、古代に住んでいたスラブ族が、北欧出身のバイキングの族長みたいなリューリクを招いてノブゴロド大公とし、いかに統一的な国家的なものを形成したのか、というところから語り起こされております。

黎明期のロシアは「古代ルーシ」と呼ぶらしいですが、もともと森林地帯にすんでいたスラブ族が、平地を流れる大河を船で移動し、当時の最先端国家ビザンツ帝国(東ローマ帝国)と交易したり戦争したりしながら、だんだんまとまってキエフ大公国という形になったようです。

13世紀にモンゴル帝国に征服されるまでは、ロシアはまぎれもなくヨーロッパの一部だった、というのがアクーニン氏の言。その後の時代に比べ、住民はより自由で識字率も高く、女性の地位も高かったそうです。

参考画像

絵画で見るロシアの歴史。

ロシア国家の開祖・初代ノブゴロド公で北欧から来たリューリク(左の座ってるおっさん)が、一族のアスコリドとジールを南へ派遣する様子。二人はキエフに拠点を構えた、ということになっているそうですが、リューリクもアスコリドもジールも、実在の人物なのか伝説なのか、不明なんだそうです。
アスコリドとジールをだまして殺して、キエフ大公になったオレーグ。「あんたは馬で死ぬ」と予言されたので、愛馬に乗るのをやめたところ、その愛馬が死んだので骨を見に行ったら、そこに隠れてた毒蛇にかまれて、予言通り死にましたとさ…という伝説の一場面。巨匠ビクトル・ヴァスネツォフの画であります。
リューリクの子でオレーグの次のキエフ大公イーゴリが、租税を集めているところ。イーゴリは税を取り立てすぎて、最後はドレブリャーネ族に殺されたそうな。
夫のキエフ大公イーゴリを殺したドレブリャーネ族を、サウナで焼き殺す大公妃オリガ。シュールでいいですね。
ビザンツ皇帝ヨハネス1世と会う、イーゴリの子の大公スビャトスラブ(ボートに乗ってるおっさん)。このころのロシアの支配者は、バイキング風の髪型とヒゲです。
スビャトスラブの子で、大公として初めてキリスト教の洗礼を受けたウラジーミル。大の女好きだったのが、キリスト教徒になって、ハーレムを解散したそうです。
ウラジーミルの子、ヤロスラフ賢公。キエフ大公国の最盛期を実現。発掘された頭蓋骨からの復元像なんだそうな。
中世のノブゴロド市は、その後の時代よりずっと発展していて、住民の識字率も高かったそうで。1230年ごろに書かれた、オンフィムという推定6-7歳の少年の落書き。学校でアルファベットの練習中に、木の皮のノートに書いたらしい。

上はアルファベットの練習と、友達の絵。下は騎兵になって敵を倒すオンフィムの姿。真ん中に「オンフィム」と名前が書いてあります。こんなのが残ってるなんてすごいですね。
画家キリル・ガーリン氏によるオンフィムの想像図。

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